べる の備忘録・雑記

こんにちは:)

『遠い光のままで』いいこともある

 

 

乃木坂46『ごめんねFingers crossed』の歌詞をきっかけに、遠い光のままでもいいこと、反対に、近づいた方がいいこととは何かを考える

 

1.はじめに

 

タイトルの『遠い光のままで』は、乃木坂46 27thシングル『ごめんねFingers crossed』の歌詞の一部である。

 

※イメージ写真です▼ 

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カフェにて撮影(顔はぼかしてあります)。

 

 

今回のブログでは、タイトルについて考察し、述べてゆきたい。

 

2.本題: 前後の歌詞

 

『遠い光のままで』の前後の歌詞は、どうなっているだろうか。

 

1.

『明日ももちろん好きだけど

近づかない遠い光のままで・・・

言葉にできない この気持ちをそっと

さよならFingers crossed』

 

2.

『明日ももちろん好きだけど

近づかない遠い光のままで・・・

言葉にできない この気持ちをそっと

君の幸せをずっと祈ってるよ

ごめんねFingers crossed』

 

はてなブログではJASRAC管理楽曲の歌詞の掲載が可能である。(商用目的は禁止など、一定の制約がある)

乃木坂46『ごめんねFingers crossed』はJ-WID(JASRAC Works Information Database、ジェイウィッド 作品データベース検索サービス)で検索結果が表示された。そのため、この楽曲はJASRAC著作権を管理している。

 

この楽曲のセンター、4期生の遠藤さくらさんは、

「切ないけど前向きなお別れソング」

news.radiko.jp

と言い表している。(引用画像の1番右が遠藤さくらさん)

 

 

3.本題: 私が「似ている」と思う曲の歌詞

 

『近づかない遠い光のままで・・・』に、特に注目したい。

私が「少しこの歌詞に似ている」と思うのが、Superfly『愛をこめて花束を』の『キレイなものは 遠くにあるからキレイなの』という部分である。

 

※Superfly『愛をこめて花束を』も、J-WIDにて検索結果が表示された。JASRAC著作権を管理している。

 

4.本題: 結論

 

私が考えた結論は、【時・場所・場合・場面・状況により、遠い光のままの方がいいこともある。しかし、そうでないときもある】というものである。

 2パターン述べたい。

 

1つ目に、【時・場所・場合・場面・状況により、遠い光のままの方がいいこともある】ことについて、私の考えを述べる。

 

遠い光のままでいいとは、言い換えれば、歌詞にあるように"近づかない"ということでもある。私は、「自分の理想や価値観を壊さず大切にしたいとき、人は遠い光のままにするのではないか」と思う。

 

例えば、あなたは購入したい商品があるとする。通販サイトでレビュー・口コミを見るか、敢えて見ないか。あなただったらどちらを選ぶだろうか。

 

私は、あるCDアルバムを購入した際、その商品の口コミを見たことがある。賛否両論だった。この経験から「自分は良い」と思っていても、他の人は分からないということを学んだ。

(そして、お気に入りの商品の口コミはむやみやたらに見ない方がいいということを教訓として得た)

 

また、多様性を受容することが大切だと分かった。いちいち否定的な意見に反応していては、自分が疲れてしまうからだ。

 

今(2021年)はインターネット上で、情報・人・物事などほぼ何でも出てくる。もちろん口コミの数も膨大だ。十人十色とも言うように、考えは各々異なる。したがって、口コミはあくまで目安・参考程度にすることが大事だ。

ただ、難しいのが、とても為になる口コミもあることである。情報の取捨選択には充分吟味し注意したい。

 

物に対して調べすぎると、様々な情報に触れることによって理想やイメージが崩れることがある。だから、私は近づきすぎず、程よい距離感を保つよう心がけている。これは物だけでなく人にも当てはまることではないだろうか。

 

※イメージ写真です▼

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箱根ガラスの森美術館にて撮影。

 

2つ目に、【そうでないときもある】ことについて私の経験を述べる。

 

ある日、普段私が利用している施設に非常に綺麗な女性がいらっしゃった。服装・メイク・髪型が完璧な方である。顔立ちも、優しい感じだ。この文章を読んでくださっている方に分かりやすいようAさん(仮名)とする。

 

偶然、私はAさんと話す機会があった。何と、私達は同い年であった。とても驚いた。また、嬉しかった。

 

時々会えると、私からAさんに話しかけることが多かった。すると、Aさんは

「同い年だし、タメ口でいいよ〜!」

と言ってくれた。本当に気遣いができる方である。

 

また、あるときは

「もし良かったらLINE教えてもらってもいい?」

とAさんから訊いてくれた。とても嬉しかった。

 

お互い"甘い物が好き"という共通点があることが分かったので、

「コロナが落ち着いたら美味しいもの食べに行きたいね」

という話にもなった。

 

もしも、私がAさんに対して接することを恐れ多く思い(今も若干そういった気持ちはある)、『遠い光』のまま近づかなかったらどうだっただろうか。

 

たらればの話ではあるが、「LINEを交換したり、連絡を取り合ったりという関係にはなれていなかったのではないか」と私は考える。

 

先程も挙げた通り、若干恐れ多い気持ちは拭えない。しかし、Aさんは以前LINEで

「いつも〇〇(施設名)で声をかけてくれてありがとう☺️」

というメッセージをくれたことがある。社交辞令かもしれないが、「迷惑にはなっていないのだ」と私は安堵した。

 

上記の事例は、"身近にいる憧れの人とどう接するか"という問題でもあると思う。遠い光のまま、触れられないが綺麗なままにするのか。それとも、長所・短所全てを受け入れる覚悟をし、もしも自分の思った通りにならなくとも、「でも○○さんのよいところは□□なところだよね」と受け流すようにするのか。

やはり、「時・場所・場合・場面・状況によるのだ」と思う。

 

5.最後に(感想)

軽く書くつもりだったが、自分が思っていたより量がある回になった。

一言で表すならば、今回お伝えしたかったことは、Time(時間)・Place(場所)・Occasion(場合)のTPOに判断や考えは左右されるということである。

 

急に敬語になりますが、以上の文章が、何かを考えるきっかけになったり、少しでもお読みくださった方の役に立つことができれば幸いです。

 

 

6.リンク

【27thシングル「ごめんねFingers crossed」MV 特設サイト】

www.nogizaka46.com

 

 

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